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クリント・イーストウッドは、この日、アメリカ合衆国カリフォルニア州、サンフランシスコで生まれた。映画俳優、映画監督、政治家。身長193cm。
俳優として数多くの西部劇やアクション映画に出演し、トップスターの地位を確立した。 監督としても『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー賞作品賞と監督賞を2度ダブル受賞するなど、現代のアメリカ映画界を代表する人物と目されている。
世界保健機関(WHO)が1989年に制定。国際デーの一つ。
現在、喫煙が原因と見られる死亡者は世界で年間500万人にのぼり、2030年までには喫煙による死亡者が年間1000万人に達するだろうと言われている。世界禁煙デーは、タバコを吸わないことが社会習慣として一般的になるよう、各国政府・自治体・団体・個人が喫煙と健康問題に対する認識を深め、適切な実践を行う日として定められた。
日本では厚生労働省が、世界禁煙デーからの一週間を禁煙週間と定めている。WHOが発表する年ごとのテーマに合わせて、専門家を招いてのシンポジウムなどを行う。
なお、日本で2003年に施行された健康増進法には、受動喫煙の防止が盛り込まれている。
「自分のごみは自分で持ち帰りましょう」を合い言葉に、愛知県豊橋市で始まったのが「530(ごみゼロ)運動」。1975年に官民一体の「530運動推進連絡会」が発足し、この運動が徐々に全国に広がった。
1979年には全国組織「530運動総連合」が発足(事務局は豊橋市環境政策課内)。また、2002年には豊橋市で省エネルギーやごみ減量を推進する組織4団体が合流して「530運動環境協議会」が設立された(事務局は同じく豊橋市環境政策課内)。
現在、5月30日には各地方自治体の担当部署が同様の運動を推進している。学校や町内・事務所といった小さな組織・団体でも取り組まれている。
消費者のための憲法といわれる「消費者保護基本法」が1968年5月30日に公布・施行された。1978年、その10周年を機に経済企画庁(現在は内閣府)が「消費者の日」を制定。さらに10年たった1988年からは5月を消費者月間と定めている。
近年、消費者のニーズの変化や規制緩和、またインターネットの普及などによって、商品・サービスや取引形態が多様化し、消費者を取り巻く環境は複雑になってきている。また悪質なやり方で消費者を勧誘して購買・契約させ、トラブルになるケースも増えている。
国や各地方自治体では、消費者みずからが確かな知識と判断力を養うことを目指し、消費者の日を中心にシンポジウムや記念講演会・パネル展・相談会などを催して啓発活動を行っている。
種芋の植えつけの5月と、日付のゴロ合わせから、同連合会が1989年に制定。昨今は、植物繊維たっぷりでノーカロリーなことからダイエット食品としても人気が高い。
明治から昭和期にかけての歌人、与謝野晶子の忌日。「晶子忌」とも。
「明星」に詩歌を発表。翌年、第1歌集「みだれ髪」を刊行して一躍世上の注目を集める。その大胆な自己肯定と奔放かつ情熱的な歌風で「明星」の中心的人物となり、明治浪漫主義詩歌の全盛期をもたらした。女性問題・教育問題の評論家としても旺盛に活動。また文化学院の創設に力を尽くした。
その他の歌集に「舞姫」など。また「源氏物語」の現代語訳でも知られる。忌日の名称は、遺歌集「白桜忌」から。
在原業平は平安前期の歌人。忌日は「在五忌」とも。
平城(へいぜい)天皇の子阿保(あぼ)親王の第5皇子。情感あふれる歌風で、「古今和歌集」に多数入集(にっしゅう)。「伊勢物語」の主人公に擬せられ、色好みの典型として伝説化される。容姿端麗で歌才に恵まれ、奔放な恋愛遍歴を重ねるが、藤原氏と相容れず、政治的には不遇であった。
小野小町・僧正遍昭・喜撰法師・大伴黒主・文屋康秀らとともに六歌仙の1人。「古今和歌集」仮名序では、「情熱がありすぎて表現が追いついていない。しぼんだ花の色つやが失せて、まだその香りが残っているような感じである」と評されている。
「曾我物語」で有名な曾我兄弟の仇討ちにちなんで、兄弟の菩提寺である神奈川県小田原市の城前寺(じょうぜんじ)で行われる行事。もとは旧暦5月28日に催した。
鎌倉時代の初め、所領争いで父親を殺された兄十郎祐成と弟五郎時致(ときむね)は、父の敵(かたき)工藤裕経(すねつけ)を富士の裾野の狩り場で討った。兄弟はともに捕らえられて殺される。
1997年のこの日の朝、行方不明だった小6の男児の頭部死体が、『酒鬼薔薇』の署名入りの声明文とともに発見された。同年6月28日、中3の男子生徒を殺人・死体遺棄の疑いで逮捕。少年法の改正の是非、マスコミ報道のあり方など、世論が大きく揺れた事件である。
西暦1983年(昭和58年)5月26日に「日本海中部地震」が発生しました。
この地震は、秋田県沖を震源地とするマグニチュード7.7の地震で津波が発生し、死者104人 の犠牲を出したほか建物、船舶及び港湾施設等に甚大な被害を受けました。
自動車耐久レースの最高峰 ル・マン24時間は、1923年のこの日午後4時、フランス北西部の町ル・マンでスタートを切った。第1回の優勝車はシェナール・ワルケール。以後ベントレー、アルファロメオ、フェラーリなど多くのスポーツカーがこのレースの歴史を塗りかえていった。
1899年のこの日、日本で最初の食堂車が私鉄山陽鉄道の急行列車に登場。区間は京都〜三田尻間。1・2等客専用で、メニューは洋食のみ。初の和食堂車は、1906年4月、国鉄東海道本線の3等急行にお目見え。後に、四国以外の各急行・特急列車に食堂車が連結され、時刻表には和洋の別が記載された。
ちなみに、世界初の食堂車は、1868年米シカゴ・ノース・ウェスタン鉄道においてだった。
山形県鶴岡市の鶴岡天満宮の祭礼。
編み笠をかぶり、手ぬぐいで顔を隠し、花模様の長襦袢(ながじゅばん)を身につけた「化け物」が、無言で酒を振舞うという奇祭。この衣装は貸し出しされ、観光客も化け物に扮することができる。
粋でオシャレな男を「伊達男」というが、まさにその元祖が独眼竜で知られる仙台藩主、伊達政宗。かつては奥州王国の建設を夢み、勢力を拡大した政宗だったが、徳川幕府が成立すると天下取りの野心を捨て、幕府に帰服した。1636年(寛永13)5月24日、70年に及ぶ人生の幕を閉じた。
蝉丸は平安時代の伝説的歌人。
宇多天皇の皇子敦実(あつざね)親王に仕えた雑色(ぞうしき)とも、醍醐(だいご)天皇の第4皇子とも伝えられるが、生没年ともに出自は不明。実在したかどうかも定かでない。
逢坂(おうさか)山に庵を結んで隠棲し、盲目の琵琶の名手であったとされる。源博雅に琵琶を伝授したことが「今昔物語集」などに、また僧正遍照に和琴を伝えたことが「無名抄」その他に見える。>
長良川河口堰(ながらがわかこうぜき)は、三重県の長良川の河口部に治水と利水を目的に作られた堰(河口堰)。
その建設に当たり、利水や治水の観点から建設を望む声がある一方、長良川の生態系や漁業などへの悪影響などが懸念され反対運動が起こり、建設の是非をめぐる論争が発生した。この論争は、単なる「開発」か「環境」かという論点をこえて、誰がこの問題の「当事者」足りうるのかという、税金を使う公共事業のあり方、河川管理や産業振興、環境保護のあり方についての論点を提起することにもなった。
1995年5月23日に運用開始。
「暗い時代だから、明るい歌が欲しいと思って」――戦後まもない頃、庶民から圧倒的支持を受けて愛唱された『リンゴの唄』の作詞家はサトウハチロー。赤いリンゴと青空の明るい対比が、人々のすさんだ心を癒した。同曲は映画『そよ風』(1945年10月11日封切)の挿入歌。ラジオの公開録音で、並木路子はリンゴを配りながら歌った。リンゴは闇市で1個5円、巡査の初任給60円の時代である。1903年のこの日、サトウハチロー誕生。
時は元弘3年(正慶2年,1333)5月22日。鎌倉幕府最後の執権・北条高時は鎌倉東勝寺にて一族ともども自刃、「いい国作ろう」1192年に出来た鎌倉幕府が滅亡しました。
日本のガールスカウトの始まりは1920年(大正9)に東京で結成された日本女子補導第1組。これを記念して同連盟が1988年に制定。
「その努力は科学に捧げつくされた。人類の為に生きた彼は人類の為に死んだ」という野口英世を賛えた記念碑が、ニューヨークと終焉の地であるアフリカのアクラに建っている。スピロヘータの純粋培養の研究で世界的評価を受けた野口は、黄熱病の研究に取りかかりアフリカに赴く。当時の顕微鏡では発見できない病原ウィルスを追ったが、感染。1928年5月21日、51歳でこの世を去った。
二十四節気の一つ。万物が成長して地に満ち始める頃。
太陽の黄経は60度。
5月20日は「ローマ字の日」です。これは大正11年のこの日に「日本ローマ字会」が創立されたことを記念するもので、昭和30年に制定されました。
ローマ字が最初に作られたのは安土桃山時代なのだそうですが、現在使われているローマ字は幕末に来日したアメリカ人宣教師ヘップバーンが使用していた英語式日本語表記を元にした通称ヘボン式(標準式)が主流です。
幕末・明治の人に「ヘップバーン」という難しい発音ができなかったのでヘボンにされてしまったわけでしょう。「ギョエテとは俺のことか?とゲーテ言い」の世界です。
その英語系の標準式が定まるより少し前、日本語のかな表記に忠実な「日本式」のローマ字も作られています。英語以外の言語使用者には、むしろこちらの方がきれいに伝わる利点があります。
(例えば chiは英語ではチだがフランス語ではシと読まれ、ドイツ語ではヒと読まれる。tiならみんなティと読んでくれて、こちらの方が汎用性が高い)
明治初期は標準式の支持者と日本式の支持者がかんかんがくがくの議論を行い、その議論に決着を付ける為、政府は両者の折衷をとった「訓令式」ローマ字を制定しました。
現在の学校教育のローマ字はこの訓令式がベースになっています。しかし、JRの駅名表示やパスポートの名前表記は全て標準式になっていて、混乱があるようです。
(文部省通達では訓令式を基本として掲げ、別表で標準式の使用も認めている)
天下無双の剣を誇った宮本武蔵は、また人生の達人でもあった。その信条は、次のようなものがよく知られている。「世々の道に反くことなし。身に楽しみをたくまず。よろずに依怙の心なし。一生の間よくしん思わず。わが事において後悔せず」。墨絵や彫刻にも非凡な才能を発揮。著書に『五輪書』があり、その人生は剣術と芸術の二刀流といったところ。1645年(正保2)のこの日、62歳の生涯を終えた。
奈良市の唐招提寺(とうしょうだいじ)の行事。
唐招提寺中興の祖といわれる覚盛(かくじょう)上人の高徳をしのんで行われるもので、上人の忌日法要のあと、鼓楼(ころう=時を告げる太鼓をつるした建物)から参詣者にハート形の団扇(うちわ)がまかれる。
蚊を殺そうとした弟子に対して、覚盛上人は蚊に血をやるのも仏の道だと諭したといい、その言い伝えにのっとって上人の命日に蚊を追い払う団扇を供えたのが始まりとされる。
団扇は厄除けや念願成就にご利益があるといわれ、人々は競って団扇を得ようとする。
国際博物館会議が1977年に制定。
ミュージアム(博物館・美術館・科学館など)は、文化交流をすすめ、文化を豊かにし、多様な人々を包含する平和を促進するのに重要な役割を果たすものであるという同会議のモットーに基づき、毎年テーマを決めて開催。国際博物館の日を中心として4月から5月末まで、各国の博物館が独自にさまざまな企画を実施している。
日本では、年ごとのテーマに沿った展示や講演会のほか、「子ども学芸員」による資料室の展示や、本物の甲冑(かっちゅう)を身につける体験会など、子供向けの企画も設けられている。また、常設室を無料にしたり、記念品を贈呈したりという形で参加する博物館も多い。
東京都台東区の浅草神社の祭礼。「浅草祭」とも。現在は、5月の第3日曜日を最終日とする金・土・日の3日間行われる。
浅草神社は浅草の沿う鎮守とされ、明治政府によって神仏分離令が発せられるまで、浅草寺と一体であった。土師真仲知(はじのまつち)と檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成(たけなり)兄弟の3人をまつることから、もとは三社権現・三社明神といった。3柱の神にちなみ、祭り当日は3基の大神輿が奉じられる。なお、浅草神社は浅草寺境内の東北隅にある。
栃木県の日光東照宮の祭礼。「日光祭」とも。東照宮は徳川家康をまつる神社。17日には流鏑馬(やぶさめ)神事、18日には百物揃(ひゃくものぞろい)千人行列が行われる。
流鏑馬は馬で走りながら的を射る武技で、平安末期から鎌倉時代にかけて盛行したのちに廃れ、室町時代以降は儀式として残るだけとなった。日光東照宮で奉納されるものは、主として鎌倉時代の古儀によるものである。17日は、流鏑馬神事のあと、家康らの霊を神輿(みこし)に移して二荒山(ふたらさん)神社に安置する。
18日の千人行列は、家康を静岡市の久能山(くのうざん)から日光に改葬した際の行列と、二荒山神社に伝わる行列とを合わせて伝承したもの。神輿を先頭にした行列が二荒山神社を出発して東照宮に向かう。東照宮では拝殿に神饌(しんせん=神への供物)を奉り、二荒山神社の巫女による舞、東照宮神職による舞が奉納される。
日本ドナー家族クラブが2002年に制定。
移植医療は、自分の生命のかわりに他人の生命を救うドナー(臓器提供者)と、その家族の善意によって支えられている。にもかかわらず、ドナーの家族の思いは社会に置き去りにされがちであるとして、新しい生命の象徴である新緑の5月に、ドナー(17日)とその家族が社会的に深く理解されるよう、また生命とそのきずなについて多くの人が考える機会になるようにと定められた。
1988年に日本旅のペンクラブが制定。松尾芭蕉が「おくの細道」の旅に出立した日を新暦に換算すると5月16日になることから。
日本旅のペンクラブは1962年の設立。旅を仕事とし旅を愛する旅行ジャーナリストや作家・カメラマン・随筆家・詩人・画家・学者などが集まり、互いの交流を深めるとともに、旅の文化向上に寄与した団体や個人・行政機関などに「日本旅のペンクラブ賞」を贈呈している。
1971(昭和46)年6月17日に宇宙中継によって東京とワシントンで結ばれた「沖縄返還協定」、1972(昭和47)年5月15日午前0時をもって発効し、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還され、沖縄県が誕生した。
日本政府側は「本土並み」の復帰を目指したが、実際には30以上の米軍基地や弾薬庫、演習場等が残され、その面積は全県の12%にも上った。
京都市の下鴨(しもがも)神社と上賀茂(かみがも)神社の祭礼。もと、旧暦4月の中の酉の日に行われたが、現在は5月15日。
祭り当日は、絢爛たる衣装調度で総勢500人ほどの行列が仕立てられる。検非違使(けびいし)・牛車(ぎっしゃ)・勅使・舞人・風流傘(ふりゅうがさ=花々で飾り立てられた長柄の傘)・斎王代(かつては未婚の内親王、現在は京都在住の未婚女性から選ばれる)などが続き、王朝絵巻さながらの行列が古式ゆかしく街を練り歩く。行列は午前10時半ごろに京都御所を出発、正午前に下鴨神社に到着する。神前の儀や東遊(あずまあそび=歌舞の一種)が行われたあと、午後2時過ぎに下鴨神社を出て、3時半に上賀茂神社に至る。
1935年のこの日、大リーグ、レッド・レッグス対フィリーズのナイトゲームが、オハイオ州シンシナティのクロスリー球場で行われた。ナイトゲームは大恐慌による観客の減少の打開策。ライトの点灯は、ルーズベルト大統領の手によって行われた。
1900年代のアメリカヴァージニア州が起源といわれています。1905年5月9日、アンナ・ジャービスという人の母親が亡くなりました。やがて彼女は、「亡き母を追悼したい」という想いから、1908年5月10日、フィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配りました。これがアメリカで初めて行われた母の日だそうです。この風習がアメリカのほとんどの州に広まりました。そして1914年、その時のアメリカ大統領だったウィルソンが5月の第二日曜日を母の日と制定しました。
「確実な成功にはなんらの栄誉もありえないが、確実な敗北からは多くの力がほじくり出されるはずだ」といったT・E・ロレンス。ベドウィンの白い衣をまとい、砂漠で勇壮に立ちふるまう姿は小説や映画でおなじみ。アラビア独立を願い、反乱を指導し、現地の人々に愛されたロレンスだったが、本国イギリス政府と対立し、失意のうちにアラビアを去った。帰国後の1935年5月13日、オートバイで転倒、意識不明のまま帰らぬ人となった。
市民らの働きかけにより、厚生省(現在の厚生労働省)が1990年に制定。
日本の高齢化を支えるために必要な看護の心・助け合いの心を、老若男女を問わず皆で育むきっかけにしようとの趣旨。ナイチンゲールの誕生日にちなんでこの日となった。
看護の日前後に看護フォーラムが開かれる。また各地で、介護実演・健康チェック・相談コーナーなどの「一日まちの保健室」設置や、講演会の開催といったイベントが行われる。
海上保安庁は、日本沿岸の海上の安全確保・治安維持をおもな業務として1948年に創設。庁舎屋上に庁旗が掲揚された5月12日を開庁記念日としてきた。これを2000年に「海上保安の日」と名称変更。海上保安庁の役割と活動を理解してもらい、地域の人々に広く親しまれるようにとの趣旨で、さまざまな行事を行うこととした。
海上保安の日前後に、灯台・水路観測所・巡視船・航空基地などの一般公開や、巡視船の体験公開などを行っている。
萩原朔太郎は大正・昭和期の詩人。
室生犀星らと詩誌「感情」を創刊。第1詩集「月に吠える」を刊行して詩壇に大きな反響をもたらす。思索的な憂愁と孤独感を病的なまでの鋭敏な感覚で表現、近代的な口語自由詩を完成させた。
その他の詩集に「青猫」「純情小曲集」、評論に「詩の原理」など。
岐阜県長良川で夏期に行われる「鵜飼い」の初日。長良川河畔で花火を打ち上げ、太鼓演奏やレクリエーションなどのイベントを行う。
鵜飼いは、篝火(かがりび)を炊いて鮎をおびきよせ、飼いならした鵜を使ってそれを捕る漁法。奈良時代以前から伝わる古式の漁法で、現在はおもに観光用として残っている。
長良川の鵜飼いは10月15日まで、川の増水時と中秋の名月の日を除いて連夜行われる。船からも川岸からも観覧することができる。
二葉亭四迷は明治時代の小説家。
坪内逍遥(しょうよう)に兄事。言文一致体による小説「浮雲」を書いて、近代小説の先駆をなした。また、ツルゲーネフの小説「あひびき」「めぐりあひ」を芸術的な翻訳で紹介したことでも知られる。のち、朝日新聞社に入社してロシア特派員。ロシアからの帰国途上、インド洋で客死した。
小説「其面影」「平凡」、評論「小説総論」など。
野鳥を愛護する習慣。5月10日から一週間。アメリカで始まった運動で、日本では日本鳥類保護連盟が1950年から実施している。バードウィーク。
期間中、自然保護をテーマとしたシンポジウムや、巣箱かけ・探鳥会などのイベント、野生生物保護功労者の表彰などが行われる。また、愛鳥週間のポスター原画を、全国の小・中・高校および特殊諸学校の児童・生徒から募集している。
日本アイスクリーム協会が1964年に制定。
この日を中心として、各地で年ごとにさまざまなイベントを催している。アイスクリームに関する知識普及のためのPRや、福祉施設へのアイスクリームプレゼントのほか、アイスクリームを食べている写真を募集するハッピーフォトコンテストなども行い、入賞者には賞金を授与する。
JA沖縄経済連などが1997年に制定。5月からゴーヤー(苦瓜)の出荷が増えることと、「ゴー(5)ヤー(8)」の語呂合わせから。
JA沖縄経済連の園芸部では、2001年からウェブサイト「ゴーヤー王国」を開設し、ゴーヤーの通信販売からゴーヤー料理のレシピ紹介、ゴーヤーについての質問受付など、ゴーヤーに関するさまざまな情報を発信している。
赤十字社の設立に尽くしたアンリ=デュナンの誕生日にちなんで、1948年に設けられた。赤十字の精神とその事業を普及する活動を各国で行う。
デュナンはイタリア統一戦争の激戦地ソルフェリーノで4万人もの死傷者が打ち捨てられている惨状を見て、「ソルフェリーノの思い出」と題する本を出版。戦場における傷病者の救護とそのための団体、およびそれを可能にする国際間の合意の必要性を訴えた。
デュナンの提唱をきっかけに設立されたのが赤十字社で、戦時には傷病者の救護を、また平時には病院経営・疾病の予防・衛生思想の普及などの事業を行う。なお、白地に赤い赤十字のマークは、デュナンの祖国スイスの赤と白を反転させたものである。
日本コナモン協会が、2003年に設立と同時に制定。「こ(5)な(7)」の語呂合わせ。
協会では「コナモン」を、食材に挽(ひ)いて調理した料理メニューの総称と広くとらえており、粉を食し、粉と遊んでその魅力を味わおうとの趣旨で活動を行う。コナモン文化の普及を目指し、ワークショップやイベントを開催、またウェブサイトや書籍によって情報を発信する。また、教会の活動とは別に会員が独自に「連」を作り、それぞれが支持するコナモンの魅力を追及する。
佐藤春夫は大正・昭和期の詩人・小説家。
早くから「スバル」「三田文学」などに才気あふれる詩文を発表。のち小説に転じて、近代人の憂愁と倦怠感を詩的な文体で描き出した。春夫を慕う人は数多く、門弟3千人とも評された。谷崎潤一郎の妻と恋愛関係になって、のちに婦人を譲り受け、三人連名の挨拶状を出した「細君譲渡事件」は、新聞各社が一斉に報じた。
詩集「殉情詩集」、小説「田園の憂鬱」「晶子曼荼羅」など。
二十四節気の一つ。暦の上で夏が始まる日。太陽の黄経は45度で、春分(昼と夜の長さがほぼ等しい)と夏至(昼間の時間が最も長い)の中間にあたる。
五節句の一つ。「端」ははじめの意で、もとはつきの最初の午(うま)の日をいったが、「午」は五に通じるところから、数字の揃う5月5日をさすようになった。この日、邪気を払うために菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を軒にさし、菖蒲湯に入り、粽(ちまき)や柏餅を食べる。
菖蒲や蓬で邪気を払う風習は古くからあったが、菖蒲は「尚武」に音が通じるところから、江戸時代以後、男子の節句ととらえられるようになり、五節句の一つに定められた。この日、男児のいる家では甲冑(かっちゅう)や武者人形を飾り、庭先には鯉のぼりなどを立てて、その健やかな成長を祝う。
みどりの日は、国民の祝日の一つである。日付は2007年より5月4日。1989年から2006年までは4月29日だった。国民の祝日に関する法律(祝日法)では「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨としている。大型連休を構成する日の一つである。
寺山修司は昭和期の歌人・俳人・劇作家・演出家。忌日は「寺山忌」とも。
歌人として出発。のちに劇団「天井桟敷」を創設し、市外劇などさまざまな演劇実験を試みた。そのほか、映画制作・競馬評論など多彩に活動した。
戯曲「毛皮のマリー」、歌集「空には本」、映画「書を捨てよ町へ出よう」など。
国民の祝日の一つ。日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日。
日本国憲法は1947年5月3日に施行された。大日本帝国憲法に変わって制定された憲法で、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を基調として、象徴天皇制・国権の最高機関としての国会・議院内閣制・違憲立法審査権・地方自治の保障・戦争の放棄と戦力の不保持などを規定している。
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